木瓜原遺跡

木瓜原遺跡は、大和朝廷末期に、製鉄炉だけでなく製陶から梵鐘(ぼんしょう:寺院のつりがね)の鋳造まで生産されていた。

木瓜原遺跡について

当社から1Kmほどの距離にある立命館大学のびわこ・草津キャンパス。
そのクインススタジアム(quince:木瓜)のトラック地下に製鉄遺跡がある。
「遺跡保存施設」と書いてある扉をあけ階段を下りて行くとひんやりした空気が下から上がってくる。
トンネルを40mぐらい歩くと製鉄炉跡がきれいな形で目の前に現れた。
 
この地帯に木瓜(ぼけ)の原生林があったため名付けられた木瓜原遺跡(ぼけわらいせき)。
 
約7世紀、大和朝廷末期(奈良時代に入る前)に、製鉄炉だけでなく製陶から梵鐘の鋳造まで生産されていた。
当時としては最大級の総合コンビナートで4kmほど南西に近江国庁が営まれ、律令国家建設に関与していたと言われている。
しかしながら、剣などの鉄の出土品は無く、ひとつはインゴット(地金)の形でそのまま琵琶湖の水運を使い対岸の豪族のところで鍛冶などに使われたのではないかと言われている。
また、鉄という性格上1000年以上土の中にあり錆びてしまった可能性がある。
 
製鉄炉を中心に、鍛冶場、木炭窯、製陶窯(須恵器)、梵鐘鋳造など配置されなかでも梵鐘鋳造は、国内では梵鐘が作られはじめた初期でもあることから当時の時鐘製造のためとも言われている。
 
滋賀県内には、約60ヵ所の製鉄遺跡があり、このうち当社の近隣には10ヵ所ほど存在する。
鉄の生産は、木瓜原遺跡から野路小野山遺跡(のじおのやま)へと施設の場所を移している。
この野路小野山(のじおのやま)製鉄遺跡も当社から800mほどの距離に位置します。
鉄を扱う当社の近郊にこの様な先人の残した製鉄遺跡が多くあることは、鉄という歴史ある素材を再認識させられます。
素材への感謝の気持ちと、今後も企業理念である「真心を込めた手造り」を活かした製品づくりで、現代の文化発展に寄与する志を新たにしました。

木瓜原遺跡の見学について

木瓜原遺跡の見学をご希望の方は、
立命館大学 びわこ・草津キャンパス キャンパス事務課にお問い合わせください。
TEL:077-561-2617
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